これで最後の自己啓発!

既存の自己啓発と自分の直感を組み合わせたら色々上手く行き始めたので共有する次第。

「気づくと消える」を応用して傷つく概念を消す:例えば今の中高生に流行りな「陰キャラ」

スピリチュアルにハマってたんなら、「鏡の法則」ってのを聞いたことがあるだろう。自分の放ったもの、信じているものが外界に反映されるってやつだ。
それともう一つ、「気づくと消える」ってのもよく聞くんじゃないか?これは主にエゴに対して使われるな。思考のクセは消そうとするんじゃなくてただ気付いてると勝手に消えるってやつだ。

今回はこの2つを組み合わせて、「世間でもっともらしく言われている、あなたの気にしていること」を消し去る方法をお伝えしよう。

例えば「陰キャラ」という言葉がある。単純な性格の暗さの他、見た目の悪さ、モテなさなどが複合した概念だ。主に中高生の間で数年前から流行っているが、一部小学生、大学生や社会人でも苦しんでいる人がいるだろう。
ひと昔の「根暗、ぼっち」さらに昔では「おたく」と同じような意味合いとして捉えてよいだろう。

今回はこれを例に取るが「勝ち組負け組」「イケメン、ブサイク」など、よく聞く言葉で自分が傷つくものがあればそれを当てはめてくれ。

なぜそれで傷つくか?

なんでそういった言葉を聞いて傷つくかというと、心の底ではその言葉による価値判断を信じているからだ。自分では「人の価値は明るさ/モテだけじゃない!」「私は創造性があるから価値がある」「私は派手ではないけれど優しくできるのが良いところ」と思っているかもしれない。

しかし想像してみて欲しい。もし本当に別の価値判断だけを信じていたなら「あっそ、それで?」となるのだ。

確かに自分で思っているような価値判断もあるだろう。だがそれと同時に、深層心理では「キャラ」による価値判断が存在しているのだ。


痛みの正体:重みを持ちすぎた「好き」

もう一つ、嫌な感じ自体の正体。それは筆者が思うに、重みを持った「好き」だ。
もともと、「明るい」とか、「カッコいい」とかってのは、良い、嬉しい概念だろう。元々は皆好きだったんだよ。男の子の場合、小さい頃は明るく優しいアンパンマンが好きだ。その後にはカッコいい特撮ものに憧れることが多いだろう。「好き」自体は天職に繋がるほどの良い概念だ。

だが、そこに「重み」がつけられると、一気に悪いものになる。他のサイトでは「べき思考」とも呼ばれている。これは元々はただの「好き」だったんだ。自分が自分であることより、その「好き」が上回ると、自分がそうでない事に苦しみを見出すのだ。


鏡の法則による「陰キャラ」の価値判断

もう一度説明すると、鏡の法則というのは、自分が放った波動が世界に反映される、世界が自分を作るのではなく自分が先で世界が後という法則だ。
波動とか言うと怪しいし、別に信じなくて良い。ただ役に立つ法則を使っちゃおうというだけだ。使ってみてやっぱり嘘だと思えばやめればいい。

とにかく、まず自分がどのような道筋を辿ったにせよ、「明るさやモテること、カッコイイことが人間に大事だ」と思うようになったということだ。

これは自分の仮説だが、初めは重みのないただの情報だったのだろう。
子供の頃、アニメでカッコいい主人公がいたとか、親がテレビのイケメンを褒めたとか、ただそれだけの情報だったのかもしれない。それを自分が重要な情報、または好みとして受け取る。鏡の法則によって放った波動が返ってくるから、またそのような状況が現れる。

そういったことを繰り返すうちに、「明るさやモテること、カッコイイことが人間に大事だ」と無意識に思うようになったのだろう。

そうすると、鏡の法則によってまたそれを反映したものが返ってくる。「陰キャラ」という概念が自分の周りで強い力を持つように感じるのは、先に自分がその概念を'自分よりも'重大なものとして扱っているからだ。


思い返して欲しい。かつては重要だった概念が、歳を取るとどうでも良くなったことはないだろうか?例えば、小学生のうちは「バカ」とか「足が遅い」などが重要だったかもしれない。しかし中学生になると、それで悩む人はだいぶ少なくなるだろう。

ここまでだと、周りが気にしなくなったから自分も気にしなくなっただけ、という理論に感じるだろう。本題はここからだ。


今あなたの周りに、自分は頭が良いと思っていて、頭の回らない人をバカにするような人はいないか?陸上に人生をかけていて、足が遅い自分には価値がないと本気で思っている人はいないか?
そういった人たちにとっては、「バカ」「足が遅い」という概念は未だに力を持っている。
先の例の人の周りには「頭が良くあるべき」と思う人が集まるし、後の例の人には「足は速くあるべき」と思う人が集まるだろう。

クラス制度のない大学生や社会人になっても、「陰キャ陽キャラ」を大事にする人がいるのはこういうわけだ。


逆に言えば、今周りで明るさやモテが重要視されている中高生であっても、本気で「それらは対して重要じゃない」と思うことができれば、無理に明るい性格にならなくても、自分なりの青春を楽しむことができる。
それを信じない人の周りには、それを信じない人々が集まるからだ。

「そんなの無理だ」と思うだろう。自分の心の底にあるものを変えるのはとても大変だ。
それでいい。
変えられないなら、変えなければいい。

じゃあどうするの?

ここで初めに示した、「気づくと消える」を使う。

嫌な思考に対して、消そうとするとそれは消えない。むしろ大きくなってまたやってくる。
真偽はともかく、思考は聞いて欲しくてやってくるらしい。だから黙って気づいてやると、満足して消えるそうな。

今回はこいつを思考に対してではなく、思考の現れである感情に使う。

筆者はなかなかこれが腑に落ちなかったが、アプローチを変えることでこれを実行することができた。

まず内省する。自分が幼い頃、明るさだったりモテだったり見た目の良さだったりを少しでも「好き」になった場面を思い出すんだ。ざっくりとでいい。
例えばゲームの明るくカッコいい主人公が好きだったとか、初めて異性を好きになった時とか。
陰キャラ」の定義は人によって違うだろうから、自分で言葉の意味を分解して、それぞれの言葉に対してやってくれ。

これを少なくとも1週間は続ける。
続けていくと、'自分が先に'それらの概念に、自分を超えるくらいな重みを持った「好き」を付与し、それによって後から「陰キャラ」の概念が現れたのだと腑に落ちてくる。
まずここで、「陰キャラ」の概念のもとを作ったのが自分だったのだと「気づく」。

これがスタートラインだ。

次に、「陰キャラ」という言葉が出てきて、嫌な気分になったら、「あっ、今自分はキャラの概念を自分より重要視している。」と心の中で気づくのだ。

自分の明るさへの不足感を感じたら「あっ、今自分は明るさの概念を(ry」と、面白さへの不足感を感じたら「あっ、今自分は面白さを(ry」と気づいておく。

他のサイトが言うには、外界の嫌な現象は、自分の思い込みを気づかせてくれるためにやってきているらしい。そんで、気づくと消えていくそうだ。

長年信じてきた概念を急に消すのは難しいが、これを続けていくうちに、例えば「陰キャラ」と直接聞いても、全く全然気にならなくなる。文字なら書いてあった事に気づかなくなるだろう。
もっと時間が経てば、あなたの現実から「陰キャラ」という言葉はいなくなっていく。役目を果たしたからだ。


というわけで、これが鏡の法則と、「気づくと消える」を応用した嫌な言葉の消し方だ。他にも聞いたり見たりして傷つく概念があるなら、これを使うと良い。これはあくまで筆者のやったやり方だから、合わなければやめるなりアレンジするなりすれば良い。

セルフ感謝の術

癒す自己啓発の基本は2つ。一つは感謝だ。そしてもう一つが自己の肯定だ。

特に感謝は効果が大きい。毎日10個ずつ今日あった感謝できる事をノートに書いてから寝るだけで、現実への感覚がだいぶ変わる。

少しずつ、現実の感謝できる部分を見つけられるように変わっていくからだ。

そうなれば、後は勝手に、徐々に現実の方も良くなっていく。感謝がデフォルトの状態になれば、現実も感謝が基準の世界になる。

もちろん悪いことも起こり続けるが、それにだっていい部分を発見できるようになる。



では、自己肯定に話を移そう。自己肯定のやり方は簡単だ。まずは毎日自分の良いところを10個ずつ描くようにしてほしい。なんなら週一でもいい。まずは自分には良いところがあると認められるようになることだ。

何かが上手くいったら、心の中で「さすが自分だ」と褒めてやること。人に褒められたら素直に「ありがとう」と答えること。もし失敗してしまっても、自分が頑張った事を褒める事。

それが板について来たら、少し自信もついてくるだろう。

少しずつ心に余裕ができたら、ネガティブの受け入れもおこなう。具体的には自分の悪いところを書き出し、そのおかげで得られているものを書き出すのだ。

自分のどんなに悪い点にも、必ずいい部分や、そこから学べていることがある。ないと思うかもしれないが、必ずある。ネットで検索すれば、短所を長所に言い換えているところは沢山ある。だが自分で考えて欲しい。自分で本気で納得できることが1番重要だからだ。


これには根気がいる。ポジティブな部分を受け入れるのにはそれほど時間はかからないだろうが、こちらはしばらくかかるだろう。

しっかり根気よく取り組んでいけば、自分のポジティブな部分もネガティブな部分も受け入れた、本当の自信を持った人間になることができる。


自分にしっかりと根拠のない自信を持つことができれば、不安を埋めるための行動が減り、自分がやりたい事、ワクワクする事に動いていけるだろう。


…ここまでは、どこかで読んできたかもしれない。ここからが本題だ。

何をするのか先に書くならば、不安や怒りのような感情と、それにより体に現れた不快感に感謝することだ。


僕は「まだ、自分のどこかを認められていない気がする」と感じていた。


自分や現実をある程度許せるようになると、頭の中のネガティブな声が少なくなっていく。

だが、ネガティブな反応そのものが消えたわけではなかった。直接声が聞こえることが減っただけで、ネガティブな反応は体に現れていた。

最初の記事で書いたように、自分は休む事を肯定している。だが長時間動画でも見ながらだらけていると、胸に不快感が現れる。何かしなければならないという焦り、不安が残っているのだ。

しかしこの焦りも、自分を想う心から出て来ている。「自分に行動をとって、幸せになってほしい」と願うから焦ったり、体に危険信号を出してくれるのだ。だから「自分の事を大事に思ってくれるから不安になってくれるんだね、ありがとう」と言ってやる事だ。周りに人がいるなら、言わずに書けばいい。

思考は基本勝手に現れるものだから、思考で感謝を作るのはなかなか難しい。書いたり口に出すのがおすすめだ。



あれ、これ前半の文章いらなくね?とお思いかもしれないが、そんなことはない。

ネガティブな反応を消し去ろうとして感謝できる理屈を並べて感謝を述べても、きっと不快感は残ったままだろう。

実際、「思考にも感謝しなさい」という教えを知った時には上手くいかなかった。

恐らく、本気で感謝できるようになっておく必要があるのだ。


まずは普通に感謝できることから見つけていくこと。次に自分の良いところに感謝して、悪いところにも感謝する。

必要な基礎ができたら、きっとネガティブな反応にも感謝できるようになるだろう。

なぜそれでもポジティブ思考を勧めるのか:中庸とは

現実を安定させるには、心を安定させる、すなわち中庸の状態になる必要がある。偏りすぎは不均衡を生み出すからだ。では、なぜ人はポジティブ思考を勧めるのか?

ポジティブ思考だけでOKじゃない!?

 

「ポジティブ思考」という言葉を、一度は聞いた事があるだろう。

 

物事を前向きに捉える事で悩む時間を減らし、それが行動のパフォーマンスを上げる。自分や現状も良しとして捉え、自分に優しい言葉がけをする事で癒しも得る。攻防共に優れもの、という訳だ。

 

しかしこのポジティブ思考には弱点がある。

人によっては、こんな事が起きた事があるかもしれない。

「いつもポジティブ思考を心がけているのに、いつも悪いことが起きる!」

「ポジティブ思考でいるからポジティブな仲間が集まるはずなのに、周りにネガティブな人が現れる!」

ポジティブに偏りすぎると、それを打ち消す量のネガティブが現れる。

 

スピリチュアル的には「振り子の法則」と言われていることだ。あるいは自分の認めてないネガティブな部分が出てきてるとか宇宙が釣り合いを取ろうとしてるとかあるだろうが、あえて理屈をつけるなら、≪無理にポジティブに思うことで心と頭に負荷がかかり、パフォーマンスが低くなる。その結果悪い結果を作る行動をとってしまったり、ネガティブな相手に好かれる行動をとってしまう。≫と言ったところか。

 

(基本的には法則ありきで理由理屈は後付けなのだが、これまで論理的に暮らしてきた我々からするとそれは受け入れがたいだろう。慣れるまではこうやって理屈を付けながら覚えていくと良い。)

 

基本的には、自分の波長と同じものが引き寄せられてくるが、偏りすぎるとそうもいかないのだ。過ぎたるは及ばざるが如し。

 

(ふと思ったが、どんなにポジティブな出来事もネガティブに捉えられるように出来れば、逆にポジティブな出来事が起こりやすくなるのではないだろうか。まぁ、精神衛生上よろしくないだろうが…)

 

中庸とは

 

一方、これも自己啓発で言われていることに「中庸」という言葉がある。

 

ポジティブにも、ネガティブにも偏らない事とよく思われるが、実際にはポジティブもネガティブも両方認める事だ。

 

例えば、悪い出来事が起きても、そこから学べた事やそれがメリットになった事を書き出す事。

天邪鬼なように見えるが、ただのポジティブ思考と違う。なぜなら最初に感じたネガティブを否定しないからだ。

 

普通のポジティブ思考なら、悪い点を思考で打ち消し、「これは良いことなんだ!」と無理やりにでも思うだろう。そうではなく、自然と出たネガティブを受け入れながら、良い点も認めるのだ。

 

自分の悪い部分に関しても、見ないフリをするのではなく、それを悪く思う事も認めつつ、その事で得ている利点も受け入れる事。

 

そうすれば、無理に思考を弄らなくても自然と良い気分で居られるようになる。いい気分で居られれば、自ずと良い結果が得られるだろう。

中庸でいつづけるなら、良い結果が得られやすくなった時も、その出来事に存在する悪い点を見つけておく事だ。

 

なぜポジティブを勧めるのか

 

では、なぜ巷にはポジティブを勧める本やサイトがわんさかあるのだろうか。

 

それは中庸への入門としてポジティブ思考が便利だからだ。

 

9割9分の人はネガティブに偏りがちだ。だからただポジティブを意識する分にはよっぽど偏りすぎる事は少ない。

 

それに、人間の思考はネガティブが基本だ。それは何百万年も昔から危険な野生の世界で暮らしてきた名残だ。今は命を落とすような危険はとてつもなく少なくなったが、世界の変化に脳はついてきていない。

 

人間は無意識のうちに1日6万回も思考をしているといい、そのうちの殆どはネガティブなものだと言う。

人間が自ら意識できる範囲(顕在意識)はおよそ1割だと言われている。自己啓発やセルフマネジメントを始めたばかりなら、意識的にポジティブに偏らせるのは問題ない訳だ。

 

だが、自分で操れる範囲で意識したものは、少しずつ無意識、潜在意識に贈られていく。

潜在意識のネガティブとポジティブの均衡が崩れた時、外界もまたアンバランスになる。

 

ここで中庸の出番だ。中庸なあり方を会得することで、心の安定、ひいては現実の改善につながっていく。

 

おわかり頂けただろうか。

初めはポジティブに考えることすら難しい。ましてやネガティブを受け入れつつポジティブにも捉えるなど、最初からやるにはいくらか難しい。

だからポジティブを勧める人は多いし、まずはそこから始めればいい。

 

なんならポジティブ思考だけでも、ある程度まで内面や現実をよくする事ができるだろう。

 

頭打ちになってきたり、余裕が出てきたら、自然と中庸な考えに興味が湧くはずだ。もしも今ネガティブに困り過ぎて精一杯なら、中庸を学ぶのはそうなってからでも遅くない。

 

 

2つの自己啓発とこのブログについて

あくまで僕の分類だが、自己啓発には2種類ある。(ま、これも二元論でしかないが-)

 

一つは行動重視の自己啓発。とにかく行動することを大事にする。男性向けのものが多い印象で、論理的に成功するための方法が書いてあるが、時に残酷な事実(これも観念だが)を突きつける。

 

もう一つは癒し重視の自己啓発。自分の内面と向き合い感情や思考を癒し、自分自身のコンディションを最高に持っていく。女性向けのコンテンツが多く、「引き寄せの法則」をメインコンテンツにしていることが多い。表現に差はあれど自分自身が良くなれば、現実も良くなってくるという理論だ。

 

僕は、後者の考えをベースにして、所々前者を織り交ぜていくのがベストだと思う。

 

行動する自己啓発は具体的だ。嫌と言うほど。「AになるにはBすること」「CをするにはDをすること。」「Eをしないと人生はダメになってしまう。」出来ることだけにフォーカスできるなら良いのだが、そのための土台ができていないと自己否定に陥ってしまう。

 

お金や恋愛に直接作用する事ができるが、一方で現状を否定させられかねない情報(=毒)も沢山ある。

 

 

そこで、癒す自己啓発の出番だ。これの役目は大きく3つ。

①自己肯定感・自己受容感を高める

②感謝をしやすくする

③乱されにくい中庸の心を得る

 

心を癒す事で、行動のための土台を作るのだ。それぞれについてはまたいずれ解説しよう。

 

心を癒すこと。それはつまり感謝と満足を覚え、そして自己と現状を受け入れることだ。

 

「そんなことをしては、行動が取れなくなる!」

ところがそんなことはない。

今を思いっきり受け入れることで、不安や恐怖ではなくワクワクに基づいて行動が取れるようになる。心の声が聞こえるようになるからだ。

 

 

エゴが満たされるのは一時的だ。最初の目標を達成すればすぐに次の問題が現れる。

周りから見れば社会的に成功しているのに、本人は全く満足していない人を見たことはないだろうか。目はギラギラと輝いてはいるが、心のどこかに無理を感じさせる。もちろん達成感と行動の繰り返しをひたすら繰り返すのも悪くないだろう。

 

だが、心を安定させ、日々を楽しみながら、ワクワクする目標に向かってのんびりと進んでいくのも、また良いのではないだろうか。

 

自分のワクワクする目標を見つけ、具体的に行動する方法が欲しくなったその時こそ、行動重視の自己啓発を頼るといいだろう。心が仕上がっていれば、多少不都合な情報が見えたところで折れないはずだ。

 

ゲームで言うなら、行動が攻撃なら、癒しはバフだ。

学んでいく事で明らかに行動がとりやすくなるし、運も良くなる。

 

 

 

 

とはいえ癒しの自己啓発にも一つ問題がある。それは敬遠されやすいことだ。

 

引き寄せの法則をメインに据える性質上、スピリチュアルな雰囲気のサイトが多いのだ。

 

フワフワした文体や、サイトのデコレーションが、論理的な人間には近寄りがたいだろう。特に男性なら拒否感すら覚えるかもしれない。

 

ぶっちゃけると、バカになるのも一つの手だ。いい現実を作り出す、いい気分で居やすくなるからだ。なぜいい気分がいい現実を作るのかはまた後日書こう。

 

癒しの自己啓発は有効だが、近寄りがたいものが多い。

だからこそ、このサイトではなるべく読みやすい文体で、自分の内面と向き合い、癒していく方法を公開していくつもりだ。

 

 

 

行動しないことについて

厳しい自己啓発。行動重視の自己啓発では、動かないことは悪とされる。結果に繋がらないのは火を見るより明らかだからだ。

 

優しい自己啓発、癒しを重視する自己啓発では、何もしない事も許されている。本心でやりたい事に気づくことやインスピレーションにつながるからだ。

 

どちらを採用しても貴方の自由だが、僕はバランスが大事だと感じる。

動ける時は動く。それが難しいなら休むのも許す。

 

何もしないことを許さないと、うまく行ってるうちはズンズン進んでいけるだろうが、休んだ時の罪悪感が酷くなる。

 

逆に何もしなくても良いんだと行動を一切やめて癒しのワークをしているだけでは、「なんでうまくいかないんだろう」となってしまう。

 

「何もしない事もあって良いが、動けるだけ動く」これぐらいのバランスが、少なくとも自分にはちょうど良い。

 

辛い時どうするか

 

行動重視の自己啓発では「辛い時こそ休まず動け。不安を消す事ができる。」とよく言う。

 

癒し重視なら、「辛い感情と向き合って手放し、波動を上げろ。」と言う。

 

正直なところ、どちらでも良い。

結果を出すのに急ぐ必要があるなら前者を選べば良いし、のんびりでも良いのなら後者を選べば良い。

 

遅かれ早かれいつか向き合う事になる。今自分と向き合う時間があるならそうすれば良いし、忙しいならまずは行動でネガティブをかき消して、時間のある時に向き合い直す事だ。